今日は夕方から雨が降り出しました
ちょっと暖かいのが、せめてもの救いかな。
2/15からスタートした愛知芸術文化センターの「カンディンスキーと青騎士展」に行ってきました。
公式サイト:http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
会期は、2011年2月15日〜4月17日です。
※基本的に月曜日が休館日ですが、詳しくはHPでご確認ください。
実はその前日の開会式に、初めて出席させてもらったのですが、けっこう人が多くて驚きました
テープカットとかもやるの初めて知った。
今回の「カンディンスキーと青騎士展」では、世界一の青騎士コレクションを誇る、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の全面的な協力のもとに、所蔵品から厳選された約60点(うち、カンディンスキー約30点)が展示されています。
会場に入った最初の展示室には、19世紀末以来、芸術の都ミュンヘンのイメージをつくり上げた立役者であるレンバッハとシュトゥックの作品が展示されています。
フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904 )
ミュンヘンの19世紀末、もっとも偉大な肖像画家として、芸術的にも経済的にも成功を収めていました。
彼の住居兼アトリエだった邸宅が、現在、レンバッハハウス美術館となっています。(2012年まで工事中)
自画像を含めて、何点か肖像画があったのですが、目を引くのはやはり、
≪オットー・フォン・ビスマルク侯爵≫1895、油彩
統一ドイツの初代帝国宰相、ビスマルク。
正直、美術館の名前でしか知らなくて、彼の絵は初めて観たのですが、ビスマルクの肖像まで描いていたとは、結構すごい画家だったんですね
歴史を感じられて面白かったです。
次の展示室からはカンディンスキーを主として、彼の恋人でもあったミュンターなどの彼と交流のあった画家たちの作品が展示されています。
当時の写真もたくさん展示されていて、彼らが存在した世界をこっそり切り取ったようなスナップ写真と、彼らの作品を一緒に見ていると、時空を飛び越えた親近感が湧いてきて、不思議な感じがしました。
ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944 モスクワ生まれ主にドイツで活動)
抽象絵画の開拓者、ドイツ表現主義者の芸術家グループ「青騎士」を立ち上げた画家です。
モスクワに生まれ、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶも、画家を志しミュンヘンで絵の勉強を始め、ドイツ、フランス、ロシアで活動。
盟友フランツ・マルクと出会い、共に行ったシェーンベルクの音楽に感銘を受け、その時の印象をもとに描かれたのが、
≪印象?(コンサート)≫1911、オイルテンペラ
最終的にこのような抽象画に到達していく過程を見ることができて興味深かったです。
初期のペインティングナイフを使用した作品を含め、油彩の作品が多かったけど、グアッシュやテンペラを用いた作品も展示されていました。
≪花嫁≫1903、グアッシュ
明るい色彩でメルヘン的な雰囲気の作品です
彼は恋人、ミュンターに宛てた手紙の中で
「ファンタジーや解釈の可能性が多ければ多いほど良い。」
と書いていたそうです。
≪ガブリエーレ・ミュンターの肖像≫1905、油彩
カンディンスキーが生涯で描いた唯一のちゃんとした肖像画です。
もともと彼女はカンディンスキーが講師をしてた時の教え子の一人だったそうです。
その頃、彼にはすでに10年連れ添った妻がいましたが、宗教上の理由で離婚することができず、悩んだ挙げ句に、1904年、ミュンターと共に逃避行しちゃいます。。
オランダ、チュニジア、イタリア、フランス、ドイツ国内、3年に亘る長い旅でした。
記述でしか知ることができないので、実際の詳細はわかりませんが、カンディンスキー(以下カンディー)、すごい芸術家ではあるけど、人間性はちょっと疑わしい
旅の途中で見つけたムルナウって小さな町が、カンディーたいそう気に入ったらしく、旅から戻った後、ミュンターに猛プッシュして一軒家を買わせちゃうしさ。。
その後、第一次世界大戦が始まって1914年にカンディーはロシアに帰国。
ミュンターはカンディーを待ち続け、1916年に一回会ったっきり、音沙汰なし
きっとカンディーはロシア革命に巻き込まれちゃったんだ
とミュンターは信じていたのに、何のことはない、1917年にモスクワで軍士官の娘と結婚してました
その後、カンディーは彼女からの連絡の一切を拒否ってたんですが、1920年以降になって、自分の作品の大半がミュンターの元にあるため、代理人を通して、
「全部返して!」
って通告するんですよ。。
セコいよ。。カンディー。。
これに対して、ミュンターさすがに、拒否
数年にも及ぶ、ドロドロの法的係争の末、いくつかの大作のみカンディーのもとに返されたそうです。
ミュンターは別にお金が欲しかったんじゃないの、きっと。
単純に裏切られた果てのこの暴挙に対して、ちょっと懲らしめてやりたかったし、償いをして欲しかったんだと思う。
でも、結果的にミュンターの手元に残って良かったです。
彼女がムルナウの家の地下室で作品をひた隠し続けてくれたおかげで、現在も多くの作品が残ってるわけだし!
カンディーなら、全部売りさばいちゃったと思うよ、絶対
その後、ミュンター80歳の誕生日に膨大なコレクション、80点以上のカンディーの絵画作品及び他の青騎士芸術家たちの作品をミュンヘン市に寄贈
立派だよミュンター、あっぱれです
ウィキペディアを見てもカンディーのページよりミュンターのページの方が倍以上の記載があるのも、十分納得ですw
もしも映画化するなら、カンディーじゃなくてミュンター目線で作った方が、きっと面白い作品になると私は思います
長々と展覧会とはかけ離れた話を書いてしまいましたね、熱くなってすみません
でも、このような人間模様を想像しながら、絵を鑑賞するのも面白いと思いますw
現在、レンバッハハウス美術館は、2009年の春から2012年にかけて大掛かりな改造と拡張工事を行っています。
そのため、ヨーロッパの20世紀初頭におけるもっとも重要な前衛芸術家グループの一つである「青騎士」の作品の一部が貸し出し可能となったそうです。
例外的であまりない貴重な機会なので、足を運んでみてはいかがしょう。
ブログランキングに参加しています。
最後まで読んでお疲れかもしれませんが、ポチッとしていただると、嬉しいです
ちょっと暖かいのが、せめてもの救いかな。
2/15からスタートした愛知芸術文化センターの「カンディンスキーと青騎士展」に行ってきました。
公式サイト:http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
会期は、2011年2月15日〜4月17日です。
※基本的に月曜日が休館日ですが、詳しくはHPでご確認ください。
実はその前日の開会式に、初めて出席させてもらったのですが、けっこう人が多くて驚きました
テープカットとかもやるの初めて知った。
今回の「カンディンスキーと青騎士展」では、世界一の青騎士コレクションを誇る、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の全面的な協力のもとに、所蔵品から厳選された約60点(うち、カンディンスキー約30点)が展示されています。
会場に入った最初の展示室には、19世紀末以来、芸術の都ミュンヘンのイメージをつくり上げた立役者であるレンバッハとシュトゥックの作品が展示されています。
フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904 )
ミュンヘンの19世紀末、もっとも偉大な肖像画家として、芸術的にも経済的にも成功を収めていました。
彼の住居兼アトリエだった邸宅が、現在、レンバッハハウス美術館となっています。(2012年まで工事中)
自画像を含めて、何点か肖像画があったのですが、目を引くのはやはり、
≪オットー・フォン・ビスマルク侯爵≫1895、油彩
統一ドイツの初代帝国宰相、ビスマルク。
正直、美術館の名前でしか知らなくて、彼の絵は初めて観たのですが、ビスマルクの肖像まで描いていたとは、結構すごい画家だったんですね
歴史を感じられて面白かったです。
次の展示室からはカンディンスキーを主として、彼の恋人でもあったミュンターなどの彼と交流のあった画家たちの作品が展示されています。
当時の写真もたくさん展示されていて、彼らが存在した世界をこっそり切り取ったようなスナップ写真と、彼らの作品を一緒に見ていると、時空を飛び越えた親近感が湧いてきて、不思議な感じがしました。
ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944 モスクワ生まれ主にドイツで活動)
抽象絵画の開拓者、ドイツ表現主義者の芸術家グループ「青騎士」を立ち上げた画家です。
モスクワに生まれ、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶも、画家を志しミュンヘンで絵の勉強を始め、ドイツ、フランス、ロシアで活動。
盟友フランツ・マルクと出会い、共に行ったシェーンベルクの音楽に感銘を受け、その時の印象をもとに描かれたのが、
≪印象?(コンサート)≫1911、オイルテンペラ
最終的にこのような抽象画に到達していく過程を見ることができて興味深かったです。
初期のペインティングナイフを使用した作品を含め、油彩の作品が多かったけど、グアッシュやテンペラを用いた作品も展示されていました。
≪花嫁≫1903、グアッシュ
明るい色彩でメルヘン的な雰囲気の作品です
彼は恋人、ミュンターに宛てた手紙の中で
「ファンタジーや解釈の可能性が多ければ多いほど良い。」
と書いていたそうです。
≪ガブリエーレ・ミュンターの肖像≫1905、油彩
カンディンスキーが生涯で描いた唯一のちゃんとした肖像画です。
もともと彼女はカンディンスキーが講師をしてた時の教え子の一人だったそうです。
その頃、彼にはすでに10年連れ添った妻がいましたが、宗教上の理由で離婚することができず、悩んだ挙げ句に、1904年、ミュンターと共に逃避行しちゃいます。。
オランダ、チュニジア、イタリア、フランス、ドイツ国内、3年に亘る長い旅でした。
記述でしか知ることができないので、実際の詳細はわかりませんが、カンディンスキー(以下カンディー)、すごい芸術家ではあるけど、人間性はちょっと疑わしい
旅の途中で見つけたムルナウって小さな町が、カンディーたいそう気に入ったらしく、旅から戻った後、ミュンターに猛プッシュして一軒家を買わせちゃうしさ。。
その後、第一次世界大戦が始まって1914年にカンディーはロシアに帰国。
ミュンターはカンディーを待ち続け、1916年に一回会ったっきり、音沙汰なし
きっとカンディーはロシア革命に巻き込まれちゃったんだ
とミュンターは信じていたのに、何のことはない、1917年にモスクワで軍士官の娘と結婚してました
その後、カンディーは彼女からの連絡の一切を拒否ってたんですが、1920年以降になって、自分の作品の大半がミュンターの元にあるため、代理人を通して、
「全部返して!」
って通告するんですよ。。
セコいよ。。カンディー。。
これに対して、ミュンターさすがに、拒否
数年にも及ぶ、ドロドロの法的係争の末、いくつかの大作のみカンディーのもとに返されたそうです。
ミュンターは別にお金が欲しかったんじゃないの、きっと。
単純に裏切られた果てのこの暴挙に対して、ちょっと懲らしめてやりたかったし、償いをして欲しかったんだと思う。
でも、結果的にミュンターの手元に残って良かったです。
彼女がムルナウの家の地下室で作品をひた隠し続けてくれたおかげで、現在も多くの作品が残ってるわけだし!
カンディーなら、全部売りさばいちゃったと思うよ、絶対
その後、ミュンター80歳の誕生日に膨大なコレクション、80点以上のカンディーの絵画作品及び他の青騎士芸術家たちの作品をミュンヘン市に寄贈
立派だよミュンター、あっぱれです
ウィキペディアを見てもカンディーのページよりミュンターのページの方が倍以上の記載があるのも、十分納得ですw
もしも映画化するなら、カンディーじゃなくてミュンター目線で作った方が、きっと面白い作品になると私は思います
長々と展覧会とはかけ離れた話を書いてしまいましたね、熱くなってすみません
でも、このような人間模様を想像しながら、絵を鑑賞するのも面白いと思いますw
現在、レンバッハハウス美術館は、2009年の春から2012年にかけて大掛かりな改造と拡張工事を行っています。
そのため、ヨーロッパの20世紀初頭におけるもっとも重要な前衛芸術家グループの一つである「青騎士」の作品の一部が貸し出し可能となったそうです。
例外的であまりない貴重な機会なので、足を運んでみてはいかがしょう。
ブログランキングに参加しています。
最後まで読んでお疲れかもしれませんが、ポチッとしていただると、嬉しいです
コメント